グラディウス400 ときどき TZR250SPR

3XVオーナーズクラブ&TZRオーナーズクラブ管理人のグダグダな日々

色々、壊れてるな

母の看病についてはベストを尽くせた感がある。父の時は心残りがあったが・・・

葬儀も終わり、気が抜けて一気に疲れが出るだろうから、死んだように眠って回復に努めようと思ってた。

肉体的にも精神的にも疲れているのに眠れない。眠剤を増量して無理矢理寝てるが、寝て起きると疲れが増えてる。

ここ1ヶ月無理に無理を重ねたので色々、精神も肉体も壊れてるな。

張りつめた糸が切れるイメージでいたが、未だに精神が張りつめている。

自分でも自覚できるほど、思考ができない。

考えようと思っても、深い思考に入ることができない。

思った以上にダメージがでかいな。

母の死がショックって訳ではない。覚悟はできてたし、母も腹をくくってたので、全力で母の望むように頑張って、120%の結果は出せたと思っている。

なのに、精神が張りつめている理由がわからない・・・

 

備忘録 母の葬儀まで

ここ1ヶ月ちょっと色々ありすぎた。
記憶の整理のためにも時系列で何が起きたか整理しとこう。

5月の下旬に気温差で母親が体調を崩す。それに合わせて肝臓の痛みが強くなってきたとのこと。

5月29日(火) 通院日。痛み緩和のため、高オピオイドナルサス錠をテストで処方され、1週間後の6月5日に感想を報告することになった。飲んでる痛み止めはハイペンロキソニン

5月31日(木) 朝食後、ナルサス錠を服用開始。母曰く、服用後2時間で猛烈な吐き気で戻したとのこと。一旦、落ついたので昼食。その後、猛烈な吐き気で吐きまくり胃の中のものを全て吐いたが、嘔吐きまくり吐血したとのこと。即病院に電話し、指示を仰ぐと服用中止になった。

6月1日(金) 弟一家が心配して実家へ。黄疸等が出てないか確認お願いしたが大丈夫だったとのこと。

6月5日(火) 通院日。主治医より6月19日に家族を含めた話し合いを持ちたいとのこと。後日、主治医に確認したら抗がん剤治療中継続か緩和ケアへの移行か相談したかったらしい。この日はステロイドのリンデロンを追加処方。

6月6日(水) 母曰く「痛みが減った。好調」

6月7日(木) 母曰く「昨日と同じく痛みは減った」

6月8日(金) 母曰く「食欲がない・・・」

6月9日(土) 電話で話すも、明らかにおかしい感じ。弟嫁も電話してたので弟嫁に聞いたら同意見。

6月10日(日) おいらは低体温でダウンしたので、弟一家に見舞いに言ってもらうことに。
弟からすぐに電話あり。「おかん、真っ黄色や・・・黄疸がすごい」と。で、おいらは病院に連れて行くように弟に指示するも、母は「今日は日曜日、主治医がおらんから意味がない」と断固拒否。
仕方が無いのでおいらが千葉の救急に電話し指示を仰ぐも、病院に行くよう説得してくれ。説得できないようなら、意識障害が怖いから誰かついてるようにとのこと。弟が実家に泊まることに。

6月11日(月) おいらは大阪出張。弟が病院に連れてく。主治医が絶句で緊急検査。血液検査の結果は悪くないというかむしろ5月29日より改善しているが、癌が急激に大きくなってるっぽい。このまま入院させるか否かを主治医と弟が相談。入院させると気持ちが萎えて一気に逝くかもしれないと主治医は危惧。弟も母の性格上、主治医の意見に同意。おいらも同意した。で、弱オピオイドで痛みをとることに。ただ、薬の副作用が怖いので誰か一緒に居られるか?と主治医より質問。おいらが休みをとることに。
抗がん剤治療から緩和ケアへ移行することに。

6月12日(火) 弱オピオイド薬のトラムセット服用。痛みは消えた。副作用も出ない。

6月13日(水) 同じく好調。

6月14日(木) 電話するも好調とのこと。

6月15日(金) 電話するも好調とのこと。

6月16日(土) 見舞いに行くと顔と胸部だった黄疸が全身に回っている・・・そして腹水も貯まり、しんどそう。聞くとほとんど食べてないのに体重は4kg増加している。弟に連絡。弟一家も駆けつける。家事等は弟嫁がやってくれた。食事はほとんど取れない。
弟一家帰宅後、急激に悪化し始める・・・
腹水が貯まり腹がパンパン。水分すら取れなくなり、痛み止めも効いてる時間が短くなってきた。
で、母と相談の上、翌日朝イチで電話することに。このとき、色々おかんと話した。
さすがに母も自分の病気について勉強しており、どういう段階にあるか理解していた。
で、母にお願いした。「おそらく痛み止めを強くしていくしか手は無いはず。だが、もし超高リスクでも治る確率がある手段があるならそれを選択させてくれ。手段が無いなら希望通り痛くないように逝けるようにベストを尽くすと。」
母は了承してくれた。

6月17日(日) 朝イチで電話するも、主治医、事情のわかってる看護師2名共に休み。事情が事情だけに状況をわかってる医師でないとろくな対処できないとのこと・・・
で、調べてもらうと当直医が主治医だった。主治医は18:30に来るとのことだったので18:30に電話することに。
事情を話して弟のみ実家に呼んだ。
で、18:30に電話すると病院側が事情を汲んでくれており、主治医に話してくれた。主治医曰く「すぐに連れてきて」と。
即連れていき、即診察&検査。緊急入院することに。
で、主治医から事情説明を受けた。肝臓の右葉がほとんど癌となっている、。左葉は機能している。癌が大きくなったことで胆道圧迫で黄疸&腹水が溜まっているとのこと。
数値を見せてもらったが、黄疸以外6/11より改善している。吐き気の原因は食道裂孔ヘルニア。胃の半分程度が横隔膜の上に出ている。
治療方針を確認。
高リスクでも治す方法は残念ながらない。延命処置しかないとのこと。
3年前に、癌を抗がん剤で小さくしてから手術しよう。今の状態で切ったら確実に死ぬと言われて抗がん剤を続けてきたが、副作用との戦いだった・・・
抗がん剤で癌は小さくなるがおかんの体力が奪われ、休薬期間が長くなっていた。
老いで癌の進行が止まることを祈ってたが、残念ながら癌の方が強かったようだ・・・
治す手段がないのでなるべく痛くないようにしてやってくれと医師に伝えた。
主治医もわかりましたとのこと。
で、まずは栄養と利尿剤を点滴で入れ腹水を抜く。それと痛み止めを薬剤師と相談しながら入れていくことにした。

6月18日(月) 看護している弟によると利尿剤の効果+栄養を入れたのが功を奏し、尿が出るようになり腹水も減少したとのこと。黄疸も減少とのこと。

6月19日(火) 弟と交代し、おいらが病院へ。主治医と薬剤師相談の末、高オピオイドのオキノーム散をテストすることに。昼食後服用。レスキュー薬だけあって10分ほどで効果が出る。痛みが消えた。吐き気なしとのこと。夜まで様子を見たが副作用なし。
久しぶりに母と談笑できた。

6月20日(水) 病院に付き添う予定だったが母から自宅で休んでくれと言われたので自宅で待機。メールを送るとレスポンスは悪いが返ってくる。が、夕方に意味不明のメールが来た。「今、まだ千葉ですか?こちらは雨ですよ。」と・・・・母に言われて昨日、自宅の阿佐ヶ谷に帰ったのにこのメール・・・
肝性脳症か薬の副作用による混乱かと心配になる。

6月21日(木) 付き添いなし。朝メールすると母からはまっとうな内容のメールが返ってくる。昼に、叔母たちが心配している。見舞いに行きたがってるぜとメールしたら、意味不明なメールが返ってきた。よく読むと打ち間違えっぽいが、相部屋をあいべあと打ってる。スマホならわからんでもないが、母はガラケー。やとあを打ち間違えるのはありえない。他にもおかしい点が多数。どうしたものかと悩む
夜にメールすると普通の返事が帰ってきた。

6月22日(金) 付き添いなし。メールすると普通に返ってくる。明日行くよとメールすると色々ご要望がきた。爪切りとかティッシュとか水のいらないシャンプーとか買ってきてと。

6月23日(土) おいらが付き添い。要望のものを買い、病室へ。薬の副作用はなく好調。食事も取れるようになってきたので点滴を外す。入院前より体重が4kgほど減少した。腹水が抜けたためと思われる。痛みはないが、しんどそうだ。
偶然に病院内で主治医と遭遇。主治医曰く「ちょっと持ち直したね。長期戦の目も出てきた。長期戦になる場合は色々相談させて」とのこと。

6月24日(日) おいらが付き添い。久しぶりにシャワーを浴びたようでスッキリしてた。ちょっとしんどそうだが、痛みはないとのこと。普通に談笑できた。明日から痛み止め等の薬の整理を行うとのこと。

6月25日(月) おいらが低体温でダウン。久しぶりにきついのが来た。メール送るもレスが来ない。1回だけ。「私は打力 落ちてる」ってメールが帰ってきた。体力が落ちてるのか、メールを打つための握力が落ちてるのか不明・・・
あとでわかったが、痛み止めはオキシコンチン+リンデロン。頓服でオキノーム散。
利尿剤と吐き気止め。睡眠時にレンドルミン
ハイペンロキソニンがなくなった。

6月26日(火) おいらが低体温でダウン。弟嫁が単独で病院に行ってくれた。食事、水分がほとんど取れないらしい。アミノバイタルのクイックスタートを愛飲してたのだが、それが欲しいと言ってるようだ。で、弟嫁が買いに走る。
弟嫁曰く「食事が取れないので体力が落ちてる。目が見えにくいらしくメールが読めないし、打てない。緑内障の影響か薬の副作用か不明。あと京丹後の伯母から電話があったと言ってるが、確認したら東京在住の叔母からの着信履歴しかない。朦朧としてるかも。」
やばいと判断して東京在住の叔母にお見舞いOKの連絡と状況を伝える。

6月27日(水) 東京在住の叔母がお見舞いに。叔母曰く「黄疸酷いね。しんどそうだわ。会話はしっかりしてた。頑張ってるよ。」叔母に京丹後の伯母にも状況連絡をお願いする。京丹後の伯母に来てもらうようお願いした。

6月28日(木) 付き添いなし。翌日はプレミアムフライデーだから行くと夕方に行くよとメールするも音沙汰なし。弟も翌日午後半休で病室に向かうとのこと。

6月29日(金) 昼頃、母よりワン切りで電話着信。即かけ直す。息も絶え絶えで、「西306の個室に移った。もう無理」と言ってる。即、弟嫁に連絡。弟と病院に向かってくれるとのこと。プレミアムフライデーで帰宅。途中で弟嫁から電話がかかってきた。事故ったらしい。内容を聞くとPAで停車中にドアを開けたら、隣の車にコツンとあたったらしい。質の悪いのにあたったみたいで、弟が絡まれてるらしい。弟は一刻も早く病院に行こうと金で解決しようとしているって内容。即警察に電話するように指示。
病院に母の状況を尋ねるとそこまで切迫してない。今日、明日死ぬような状況ではないとのこと。弟嫁に状況を説明し、きっちり事故処理してから来るように指示。
おいらはバイクで千葉に向かう。弟一家より先に到着。
看護師さんに事情を聞く。かなりキテる。もう相部屋では無理と看護師側でも判断し個室に移したとのこと。痛みはないが、めちゃくちゃしんどいようだ。食事は取れない。水分もほとんど取れない。薬を飲むのがやっとのようだ。
点滴で栄養と水分を入れてもらうように依頼した。遅れて弟一家到着。
弟曰く「思った以上に酷いな」
弟一家はこの日に横浜へ帰った。

6月30日(土) 京丹後の伯母&従兄弟3人と東京の叔母夫婦が見舞いに。見舞いに来る前に、おかんと事務的な話を明日しよう。そして、それを録音させてもらうわと話してた。
そんな話をしてると京丹後の伯母&従兄弟到着。伯母さんは絶句。写真で黄疸の状況とか送ってたが、実物を見てびっくりしたらしい。その後、東京の叔母夫婦到着。悪化のスピードの速さに絶句。従兄弟が祖母(母の母)との会話を録音したテープをもってきたのでそれを聞かせると嬉しそうだった。それなりに会話はできた。
親戚一同で千葉の実家に移動。細かい状況をおいらがレクチャーする。終わりが近いことを納得してもらう。明後日、主治医と話して、モルヒネを注入する旨を話した。
点滴を依頼しているのに点滴はなされてなかった。看護師に聞いても、医師の判断としか言わない・・・

7月1日(日) 京丹後の伯母と従兄弟が京丹後に帰る前に見舞いに来てくれた。弟一家も来た。昨日より更に悪化しており会話がイエス、ノーぐらいしかできなくなってた。伯母達が来る前に医師がつかまったので、点滴の件を聞いた。この人は主治医ではなく、休日の担当医。詳しく教えてくれた。点滴を入れたい気持ちはわかるし、我々も入れてあげたいが、もう点滴を入れると吸収できず全て腹水になってしまう・・・母の場合、腹水がたまると非常にやばい。というのは、胃が横隔膜の上に飛び出しているのがわかっている。つまり横隔膜がゆるくなっている。すると、腹水がたまると肺に流れ込む。。腹水が肺に行くと非常に患者は苦しむらしい。伯母にもこの事情を説明し納得してもらったが、母が苦しんでるのをなんとかしてやりたいわと言い残し、帰っていった。
事務的な話をしたかったが予想以上に悪いので諦めた。

7月2日(月) 主治医は朝イチで手術があるのでアポは午後だったが、回診で来るんじゃないかと思い7:30から病室でスタンばってた。案の定、主治医が来た。すると主治医は母を見るなり午後じゃなくてすぐに話そうと言ってくれた。主治医に状況確認するも想像以上にガンが進んでいる。肝臓がろくに機能していないとのこと。母の希望である楽に逝きたいを叶えてやってほしいと懇願した。主治医はモルヒネ投入を決めた。ただ気になったので3つ質問した。モルヒネって痛み止めでしょ?痛みはコントロールできてるが苦しいのにも効くの?答えはYesだった。もう一つはモルヒネで副作用が出ないことの確認だった。主治医もこれは認識しており静脈に投入じゃなく皮下注で行くとのことだった。何日持ちそうかを確認すると、多分1日~3日。長くて1週間とのこと。
10:30にモルヒネ投入。1時間位で母は眠りに落ちたが、顔は穏やかになった。
12:30に手術を終えた主治医が来てくれた。母の顔を確認して、モルヒネの効果が出てる。おそらく苦しみからは解放されてるはずとのことだった。
16:30にまた主治医が来てくれた。そして、おいらが怒られた。「まだ、居たのか。今から長丁場になるかもしれない。早く帰って体を休めろ」と。
で、飯を食って実家に帰り、風呂に入り、寝ようと思ったが眠れない。コンビニに向かって家を出たら1病院から着信。19:53だった。母の呼吸が弱くなりだした。東京にいるかもしれないので早めに電話しましたと。千葉にいることを伝えるとまだ大丈夫なので安全運転で来てくださいとのこと。状況を弟嫁に伝えて、バイクで病院へ。20:10着。
看護師に説明を受ける。呼吸が4~5回/分。血圧は100/60ぐらい血中酸素濃度は95。
普通ならあと数時間とのこと。
弟に連絡がつき、弟は会社から電車で来るとのこと。21:30到着。
東京の叔母に電話。元々、翌日見舞いに来てくれる予定だったが、事情を話しても理解しない。あと数時間だと思うから明日来ても意味がない旨を話し、今日来るかなしにしてくれと言うも明日、行くの一点張り。最初から普通なら後数時間の命だと何度も言ってるのに、「えっ!?今夜が山なの?明日行くわ。」と謎なことばかり言う。頭にきて電話を切った。弟が来るまで持って欲しいと思い、頑張って声を掛ける。なんとか反応はある。ヒヤヒヤしてると弟がやってきた。弟と2つ3つ言葉を交わすと、安心したのか意識がなくなった。丹後の伯母に事情を話した。そして、東京の叔母にキレたことも伝えておいた。

7月3日(火) 0時頃、呼吸回数が3~4回/分に落ちだし、顎下呼吸が始まりだした。血圧も90台に下がり始めた。血中酸素濃度も90へ。酸素を増やしてもらったら、2時頃に血中酸素濃度は93まで回復し安定へ。疲労困憊で病室に簡易ベッドを出してもらった。おいらは寝てしまった。目が覚めると5時前で状況は変わらず。電車が動き出したので、嫁を車で連れてくると弟は横浜の自宅に向かった。8時過ぎに血圧が低下し90を切り始めた。ヒヤヒヤしながら弟を待つ。弟が到着した10時頃に状態はまた安定。弟も寝てないので嫁が母をみて、弟が病室の簡易ベッドで寝る。おいらは実家で寝ることにした。
11:30頃東京の叔母が到着。弟嫁がうまくあしらってくれたようだ。実家で寝ようとすると仕事の電話で起こされる。13時位に眠りに落ちた。16時頃おいらは病院に戻るも弟は帰ってこない。弟が鎌ヶ谷まで叔母を送って行くことになったようだ。
叔母の空気の読めなさにキレてしまった。
弟が帰ってきた後、弟嫁が電車で横浜へ帰った。交代で夕食を取る。弟は疲労のあまり簡易ベッドで撃沈。問題発生。弟は睡眠時無呼吸症候群。母親は息も絶え絶えで途中で呼吸が止まる。弟、母ともに呼吸が急に止まるので心臓に悪い・・・
指で脈を取ってるて明らかに血圧が落ちているのがわかる。機械で測定できない。看護師さんが指で確認すると70くらいとのこと。低い血圧測れる血圧計に変えて測定すると、23:30頃で76/52だった。

7月4日(水) 0時過ぎ。下顎呼吸が激しくなる。もう全身全霊を傾けて呼吸してる感じ。0:20に爆睡している弟を叩き起こす。0:30には血圧が測定できなくなり、心拍に乱れも出だす。必死で呼吸している。あまりにしんどそうに見えるので、弟と共に「もうがんばらんでええんやで、今までありがとう」と呼びかける。1:04に呼吸&心臓停止。最後に母の目から涙が流れた・・・・
1:14に医師が臨終を確認。
その後、葬儀屋に連絡して2:30に病院に来てもらうことにする。
1:30から看護師さん達が母の体をきれいにしてくれた。
2時頃より病室の撤収準備し、2:30に病院を出発し葬儀場へ。
前回父の葬儀の担当の方は当直じゃなかったので、10:00よりその方と打ち合わせすることにして葬儀屋を後にする。
4時過ぎに実家に帰る。軽く食事して仮眠。
10時より葬儀社と打ち合わせ。父と同じく1日葬で坊さんも同じ方にお願いしたい旨を告げる。坊さんの都合と火葬場の空き時間から7月6日13時開式で決まり。
正直、一息つきたかったのだが無理だった・・・・
打ち合わせは父の葬儀で要領がわかってるので1時間で終了。その後、病院へのお支払いをしたり、親戚に連絡したり、遺影を選んだりする。
京丹後の伯母より明日、母と対面したいとのことなので段取りをする。
16時前に弟は横浜へ、おいらは阿佐ヶ谷へ向かう。お互い自宅で準備が必要だったのだ・・・
阿佐ヶ谷で爆睡する予定が気が張ってるせいであまり眠れず・・・

7月5日(木) 5:30起床。天気を見ると雨が降ってる。天気予報は曇だったのに・・・
雨の間隙を縫って7:30に自宅をバイクで出る。濡れずに千葉の実家到着。
11時の約束だったのに、10時前に伯母達が千葉駅に到着。京丹後からこの時間に到着するのは無理のはず・・・聞くと綾部まで来るまで行き始発に乗ったらしい。
葬儀場周辺には何もないので千葉駅で時間を潰すようにお願いする。弟一家も10:30すぎに実家に到着。おいらを乗っけて葬儀場へ。
母の遺体と対面。伯母曰く祖母にそっくりだとのこと。確かに死に顔は祖母にそっくりになってた。その後、伯母たちと食事して実家へ移動。
伯母達がホテルにチェックインできるまで時間を潰す。
伯母たちを弟がホテルに送り届けてから、弟一家と食事して本日は解散。

7月6日(金) 葬儀当日。弟がパニックに。もってきたワイシャツがきつくて着れないらしい。オーダーでワイシャツ作ってるのに太るやつが悪い。おいらの予備ワイシャツ貸そうにもおいらは身長176cm、弟は158cm。おいらのワイシャツは3XLか4XL。サイズが合わない。親父が165cmだったので親父のワイシャツを探し、それを着る。
その後、式を行い17時終了。


 

 

さて、どうしたものか・・・3

母親だが点滴が外れて、ある程度持ち直したかと思ったら、ろくに食事が取れず日に日に弱っている。
火曜日辺りからろくにメールの返信がなく心配してたら、弟の嫁が見舞い行ってくれた。
弟の嫁曰く「メール打つのもしんどいらしい。あと、食事どころか水分取るのもしんどいと言ってる。痛みは無いそうだ。見た目は腹水も殆どなくなったように見えるんですが・・・・」とのこと。
東京在住の叔母と丹後在住の伯母から見舞いに行きたい旨の話があったが、すっと母自身が固辞してた。落ち着くまでは困るとのことで・・・・

まともに会話できるうちに伯母たちにあってもらう方がいいのではないか?と思い、弟と相談の上、事情を伯母たちに話し、お見舞いOKの返事をした。
早速、水曜日に東京の叔母が見舞いに行ってくれた。
叔母曰く「黄疸酷いね。しんどそうだわ。会話はしっかりしてた。頑張ってるよ。」とのこと。
丹後在住の伯母に叔母からも状況を話してもらい、見舞いに来てもらうことにした。
で、土曜日に従兄弟と一緒に来てくれることになった。
明日は弟一家が行ってくれる。
おいらもプレミアムフライデーなので夜には行けるかな!?
持ち直したと思ったら、一気に弱りだした。変化が激しいので気疲れするよ・・・
仕事も手に付かないし、どうしたもんかな・・・・


さて、どうしたものか・・・2

土、日と母親の見舞いに行ってきた。
色々と状況が変わってきた・・・
癌性疼痛は麻薬系鎮痛剤がうまく作用してるようで、かなり楽になったとのこと。
恐れてた強烈な吐き気も無いようで安定しはじめた。
食事もほんの少しだが取れるようになり、水分も補給できるので点滴が外れた。
食事もろくに取ってないのに体重が増えてたのだが、体重も減りだした。
母親は50~51kgがベスト。抗がん剤治療中はこれが48kgまで減少。腹水が貯まり始めてから55kgまで増加してた。土曜日の段階で51.7kgまで減ってた。
病状は安定しており、痛くて辛そうだったのが、だるそうに変わった感じだな。
ただ、かなりこの1週間で弱った感がある。

病院内を歩いていると主治医とばったり出会ったので、軽く話した。
主治医曰く「ちょっと持ち直したね。もしかしたら転院も視野に入れる必要が出てくるかもと」とのことだった。
入院した時に主治医は直接的には言わなかったが、まあ、1ヶ月持たないだろうって感じだった。実際、母親を見てたおいらも弟もそう思ってた。
今の母親を見てると、もしかしたら長期戦になるかもしれない・・・

母親の希望は2つ。
「父のように入院したら、サクッと逝きたい。」
「痛いのは絶対イヤだ。」
後者は主治医、薬剤師のおかげでなんとか実現できた。
が、前者と逆の状況に進んでいる。

さて、どうしたものか・・・

さて、どうしたものか・・・

6/17の日曜日に母親が緊急入院。
腹水が酷く、食事、水分が取れてなかったのでその対策をすることに。
月曜日は弟が付き添ってくれた。
点滴で栄養と水分と利尿剤を投入。
弟曰く、小便が出るようになり、腹が凹んで黄疸も少しマシになったとのこと。
火曜日、水曜日はおいらが付き添うことに。
火曜日から疼痛をごまかすための鎮痛剤選び。医師&薬剤師と相談の上で、オキノーム散を試してみることに。これはレスキュー薬で飲んですぐに効果が出る薬。アヘン系の麻薬らしい。
昼食後、母親が服用した。ものの10分で効き始めた。母親曰く怖いくらいに痛みが消えていくとのこと。吐き気はなし。
1時間ほど様子をみたが、痛みも吐き気もなし。
大丈夫そうだと思い、実家にに戻り、母親に頼まれてたパジャマの洗濯と予備パジャマを準備する。
安心感と疲労もあり2時間ほど爆睡してしまった。
で、夕方、再度病院に行くと薬は効いてるようで吐き気は無いそうだ。
久しぶりに談笑したよ。
翌日も付き添うつもりだったが、母親から大丈夫だから自宅で寝てろと言われ、自宅でゆっくり過ごしてた。たまにメールを打つと、レスポンスは悪いが返ってくる。
で、安心してたら、夕方に怖いメールが届いた。
「今、まだ千葉ですか?こちらは雨ですよ。」と・・・・
前日の夜においらは阿佐ヶ谷に帰った。阿佐ヶ谷に帰ることは話したし、阿佐ヶ谷到着時に阿佐ヶ谷に着いたとメールもした。
翌朝に千葉に行こうかとメールしたら、大丈夫。阿佐ヶ谷で休んでろとメールも帰ってきた。なのに、このメール・・・
鎮痛剤の副作用で記憶が混乱してるのか?はたまた、ついに肝性脳症が始まったか?と心配になり始めた。
今朝、具合はどうだと?とメールを打つと、普通に返事が返ってきた。
昼に叔母たちが見舞いに行きたがってるぜとメールしたら、意味不明な文章が返ってきた。よく読むと変換ミスやタイポなのだが、あまりにおかしい。
うーむ、どうしたものか・・・・と悩みながら仕事してた。
早く帰れたので阿佐ヶ谷に着いた旨をメールしてみたら普通にしっかりした文書で返ってきた。
イマイチどういう状況か読めんな・・・・

 

うーん、参った

6/12、6/13と実家で母親の看病をした。6/11に処方された痛み止めが副作用満載のため、なんかあったら危ないと思ったし、医師からの指示でもあった。
幸いなことに痛み止めはそれなりに効果を発揮してくれて、副作用もなかった。
一安心だな思い、6/14,6/15は普通に会社に行った。
念の為、6/16の土曜日に行った。実家に行ってびっくり。顔と上半身だった黄疸が全身に回っている・・・・そして、ちょっとしんどそう・・・
状況を弟に報告。
弟一家もやってきた。
6/19の医師を含めた治療方針決めまで持つのか?と疑問に思いつつ看病してた。
が、弟一家が帰ったあとから急に悪化し始めた。
腹水が貯まり腹がパンパン。痛み止めも効いてる時間が短くなってきた。
で、おかんと相談の上、朝イチで電話することに。
おかしいと思ったら電話くれと医師や看護師に言われていた。
朝イチで電話するも、事情を理解している医師、看護師は休み。救急に話すもまともに会話が成立しない・・・・
事情が事情だけに状況をわかってる医師でないと対処できないとのこと・・・
幸いなことに6/17の夜の当直医が担当医だとわかったので、医師が来る時間に電話することに。
速攻で弟に電話し、来るように指示。実はおかんが心配でほとんど寝てなかった・・・
おかんはぐったり。腹水のせいで水分も取れなくなってきた・・・・
昼に弟到着。おいらは疲労困憊だったので看病を任せて眠る。
担当医がやってくる時間になった。で、電話し事情を話す。医師曰くすぐに連れてきてって話になった。
で、即連れていき、即診察&検査。緊急入院することに。
で、医師から事情説明を受けた。肝臓の左半分が癌となっている、。右半分は機能している。癌が大きくなったことで胆道圧迫で黄疸&腹水が溜まっているとのこと。
数値を見せてもらったが、黄疸以外6/11より改善している。
治療方針を確認。実は前の晩におかんと話しておいたのだ。
ダメ元で少しでも治る方法があった際にはそっちを選択するぞ。仮に死ぬ確率が高くてもということでおかんと合意してある。
で、医師に確認したが、治す方法は残念ながらない。延命処置しかないとのこと。
3年前に、癌を抗がん剤で小さくしてから手術しよう。今の状態で切ったら確実に死ねと言われて抗がん剤を続けてきたが、副作用との戦いだった・・・
抗がん剤で癌は小さくなるがおかんの体力が奪われ、休薬期間が長くなっていた。
老いで癌の進行が止まることを祈ってたが、残念ながら癌の方が強かったようだ・・・
で、こうなった場合のうちあわせもおかんと合意している。
なるべく痛くないようにしてやってくれと医師に伝えた。
医師もわかりましたとのこと。
で、まずは栄養と利尿剤を点滴で入れ腹水を抜く。それと痛み止めを薬剤師と相談しながら入れていくことにした。
痛み止めの吐き気で苦労してるので、いろんな薬と投与方法を試して見ることになった。
で、どれくらい持ちそうですか?と医師に確認したが、正直わからんとのこと。肝臓の半分は機能しているので、がんの進行次第とのこと。
あと、痛みを取るとストレスから解放され一気に死んでしまうケースがあるとのこと。
確かに親父はモルヒネを打って痛みから解放されたら3日と持たずに逝った。
さて、どうなることやら・・・

うーん、困った。

母親の病状が困ったことになってきた。

転移性肝癌の痛み止めが効かなくなってきたので、5/29より麻薬系の痛み止めが処方された。

麻薬系の薬のため薬局に在庫がなく5/31から服用開始。

副作用は吐き気。飲み始めてすぐに激しい副作用で吐きまくりで、吐きすぎて吐血。そのまま病院に行って服用中止。

6/1に心配した弟夫婦が母親のところに行ってくれた。黄疸は出ておらず元気そうとのこと。

6/5に医師よりリンデロンが処方された。麻薬系が効かないのでお試し。6/19に家族も含めて話がしたいと医師から要望があった。

6/5より服用開始。副作用ほとんど無し。

6/6に母親に聞いたところ、痛みは取れて調子が良くなったとのこと。

が、6/8より食欲がないと言い出した。

6/9においらが実家に行こうか思ったが、おいらがお疲れモードでダウン。6/9の昼頃電話で母親と話すと様子がおかしい。

弟の嫁と話したところ、弟の嫁もおかしいと感じてたらしい。で、6/10に弟一家が母親の様子を見に行くことに。

6/9は30度超え、6/10は10度以上気温低下で、おいらはダウン・・・

6/10、実家に着いた弟より電話あり。

「おかん、真っ黄色や・・・黄疸でてる・・・」

弟に病院に連れて行くように指示したが、おかんが拒否。日曜日に行っても意味がない。担当の先生も看護師も休みだからと言って聞かないらしい。

仕方ないので、千葉市の救急に電話して指示を仰ぐ。病院に行くように説得して。説得に応じないようなら、1人にしないで。意識障害が怖いとのことだった。

弟に救急の指示内容を伝えたが、説得に応じず。弟が実家に宿泊することに。

6/11の朝に母親が病院に電話。医師曰くすぐに来てとのこと。

弟が母親を病院に連れて行く。都合悪いことにおいらは大阪出張。

弟から速報が入る。黄疸には医師もびっくり。早急に色々検査。

医師と弟と話した結果、がん治療から緩和ケアへの移行することに。

痛みを取りたいが、麻薬系は副作用が出たのでどうしたものかと医師も悩み中。

入院させて色んな薬を試す案も出たが、医師も弟も母親が精神的に参ってしまい死期を早める可能性が高いなとの見解で一致。

で、おいらが火、水と休めるので、自宅で様子見することに。

おいらは大阪から直接千葉の実家へ。

顔見てビックリ。黄疸ってこんなに真っ黄色になるのね・・・

病院の血液検査の結果を見ると、抗がん剤治療をしてないので、肝臓以外は正常値。肝臓はほぼ全てが異常値・・・

うーん。医師も一気にがん進んだようだと驚いてた。こんな状況になるのは医師も来年以降と思ってたようだ・・・